写真生活再開

前回のブログの更新が半年以上前ですか…
ご無沙汰しております。
って、ここを訪れる人もボット以外はいないようにも思いますが…^^;

さて、写真生活再開です。
今回は、やりたいことが明確にあるので、本格的に再開です。^^)
一つは、撮り貯めてきた河川敷写真の作品製作。ま、写真講座のネタも兼ねてではありますが、このあたりできちんとプリントしてまとめたいということです。基本、撮り貯めたネガからプリントするつもりですが、並行して追加で撮影もします。
あと一つは、まだ構想段階なのでヒミツです。

というわけで、決意表明も兼ねてフィルム4本を現像。
現像液(D-76)が古くて不安でしたが、変色してなかったのでいけるだろうと…実際問題なかった。
ちなみに、D-23は変色してたので捨てました。
が、定着液がヘタってた。
まぁ、かなりの本数定着したものだったせいもあるのですが、ベース面の抜けが悪かったので、
結局10分近く追加で定着作業をすることに。やはり、コンスタントに現像作業は行わないと、なにかと問題があります。
未現像フィルムもたんまり溜まっているので、今後は現像タンクを振る日も増やしましょう。

ネガフィルムをスキャンしてデータ化作業も再開。
最近は、すぐに眠くなるので、仕事のある日は2本が限界ではありますが。フィルム現像より、こっちの作業の方が手間がかかるので、またぞろ未スキャンネガが山積みにならないよう、こつこつ作業する必要があります。

残るは、撮影機材の手入れ(大半は探し出す作業なわけですが…^^;)と写真展巡りかな。
ちょうど京都グラフィーの季節到来。今年は見まくりまっせー。

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コダック大幅値上げふたたび

久方ぶりのブログ更新がこんな話題でスミマセン。=-_-;=
コダックがまた値上げ。
内容見てみましたが、モノクロ関連では、長巻とブローニーの値上げが凄まじいですね。倍以上値上がってます。ブローニーはT-MAX100ですが、まぁ、これはもともと低めの価格設定のままだったから上げ幅大きいのでしょうが、長巻は壊滅的。ていうか、長巻使う意味がなくなったような…いや、まじで長巻の方がコスト高なんですけど…
それにしてもILFORDとの差がますます開いちゃいましたね。そのうちILFORDも値上げするんでしょうけど、なんか根本的な問題がコダックにはありそうな印象です。

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角のある鹿

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いつだったか、紅葉を撮りに奈良へ行った時、日も暮れて帰ろうかという頃に、立派な角を生やした鹿が颯爽と道を横切って行くのを見かけたことがあった。
奈良の鹿の角切り行事について小耳にはさんでいた私は、「ああ、あの鹿はきっと、人に捕まえられることなく生き延びて角を切られずにいるのだ。ボス級の強い雄に違いない。」と思った。
と同時に、一度立派な角を生やした奈良の鹿を撮ってみたいとも思っていた。 続きを読む

壹燈舎企画公募展「モノクロ写真展」

1402ultrafineextreme100_125_001モノクロ写真展に6X7のバライタ大四つ4作品を展示します。
タイトルは「くぐり木の先」
確か、「くぐり木」というタイトルでかめぴにアップしたことがあると思いますが、この時に撮影した3枚と合わせて4枚構成です。
RB67の試し撮りのつもりだったのですが、なぜかおもしろいものが撮れていたので、作品化しちゃいました。(安易だと思います、ハイ。)
お近くに来られることがありましたら、お立ち寄りください。

10月29日(火)~11月3日(日)まで、大阪長堀のギャラリー壹燈舎にて

余談ですが、このギャラリーの場所、ほんとわかりにくいです。
実は、搬入に行った日、知らずに通り過ぎていました…=^_^;=

※添付の写真は、展示作品とは無関係です。

ニコンフォトコンテスト2013

今年も観てきました。
去年までは、世界では、こういう嘘くさい写真が流行なのかと思ったものですが、多少美術畑出自の写真を知ったので、ああ、これは美術系か、と妙に納得しました。
しかし、この美術畑と土着の(?)写真畑の垣根がなくなって混沌としたこの状態は、実のところどうなのでしょうか。相互に刺激しあって、ほんとうに豊かで面白いものが生まれているのでしょうか。
いや、もちろん、今回の作品もとても面白いものがありました。また、風刺的で社会に対するパワーを持ったものもありました。

a_1_d7ec54b1162cf5aff5b1259edf88bbb91712cae0_jpgしかし、大半の作品に共通する、レタッチばりばり、演出しまくりのこの「嘘くささ」にはいったいどういう意味があるのか。確信犯?にしても、もう飽きてしまいます。
数秒で陳腐化するこの嘘くささこそが、現代という時代を象徴するものなのでしょうか。

ここにはやはり、「撮る」と「作る」の、写真のいたずら神と美の女神の、土着写真と写真美術の差異が、厳然として存在するように思うのですが、どうなんでしょうか。
あるいは、常に過ぎ去ったものを追い求める者と、まだ形にない未来の造形に惹かれる者とのすれ違いという程度の差なのでしょうか。
やはり、ますます困惑の極みへとはまりこんでしまいそうです。
ニコンフォトコンテスト