十九歳の始点

※この文章は、2011年5月29日にカメラピープルの日記へ書きこんだものです。

ここんところ、実家の大掃除をやっている。
かつて私が居た部屋も片付けるので手伝いに来いと言う。
ほとんど納屋と化した、かつての私の部屋の雑物どもを、
捨てる捨てないと振り分ける。私から見ると、全部捨てて良いような
ものばかりなのだが、母親は違うようで、「置いといて」の連呼。
それでもいくばくかの空間が開けて、その日の作業は終わった。

一息ついて、ふと眺めると、今までモノに阻まれて開けることの
できなかった机の引き出しが見えている。
まぁたいしたもんはないだろうと引っ張ると、まっさきにネガフィルムの
袋が目に入った。
広げてかざしてみると、どうも学生時代の写真のようである。
すでに今撮っているフィルムのスキャンでも大変なのに、
こんな昔のフィルムをスキャンしている時間はないよな、とか思いつつも
面白そうだったので、いくつか持って帰ってきた。

スキャンしてみてとても驚いた。
カラーネガの退色が進行していたが、補正で昨日撮ったがごとく蘇った
とかいうたぐいのことではない。
自分が撮ったという記憶がまったくもってない写真だったからだ。
いや、写真自体にはおぼろげな記憶があった。
が、それを、こともあろうに私が撮っていたということが衝撃だった。
私の中では、高校時代を最後に写真はほとんど撮っていないはず
だったからだ。

80枚程度を勢いでスキャンしていくうちに、やはり自分が撮ったのだと
納得せざるを得なかった。まぁ、私の机の引き出しに他人が撮った
フィルムのネガがあるはずもないことは自明なのだが。
それは、どうも大学の新入生歓迎イベントに参加した際の写真らしかった。
それも、泊まり込みの合宿形式のようなのだ。
これまた、私はまったくもって記憶がない。
しかし、そこに写っているのは、苦しい受験戦争から解き放たれ、
社会に出る日はまだ遠い先といった開放感に満ちた空気だったから、
そんなかで私も浮かれていたのだろう。
その空気感だけは思い出に残っている。

これらの写真を最後に、私はほとんど自分からは写真を撮らなくなった
のだった。
いわば、十九歳の止点。
しかしながら、このような止点が存在したことに正直救われた思いがする。
数十年の時を経て、それは始点となり得るのではないかと。
奇しくも、当時手にしていたCANON A-1を、今再び手にして撮りはじめた
ことに多少なりとも意味を見出せた喜びを感じながら…

※貼った写真の元はカラーネガですが、あえてモノクロ化してみました。
(機材:CANON A-1、NewFD35-70mm/F4)