私にとっての、映画と写真

灯台への道 #164535

 定年後、久しぶりに映画のはしごをした。もともと映画は大好きで、大学生の頃は年に200本ぐらい観てたし、就職してもしばらくは結構な本数を観ていた。とはいえ、年とともに観る本数は少なくなっていって、映画をほとんど観なくなったのは、50歳前に写真にハマりだしてからだと思う。その頃は、最近映画観なくなったよなぁ、ぐらいにしか思わず、たまには観なきゃなとか頭では思うんだけど、結局観ないことが10年以上続いていた。今思えば、まるで、映画をみることと写真を撮ることが入れ替わったかのようだった。

 今回観た映画は、アキ・カウリスマキの「枯れ葉」と、「コット、はじまりの夏」というアイルランド映画。私の好きなミニシアター系。先月は、「ゴジラ -1.0」を観たので、すでに去年見た本数を超えた。そして、おそらく今後は月に数本は見ると思う。定年退職してすぐの頃は、よぉーし映画も観るぞぉ、とか、気分的に思ってたりしたわけだけど、退職直後に少し観に行った後は、どういうわけか一向に映画館に足を運ぶことはなかったわけで。それがいきなり3本、しかも映画のはしごで2本観るとは、いったいどうしたことか?

 今回、映画をはしごして観てまず思ったのは、映画鑑賞は私にとって今は娯楽扱いだなということ。年に200本ぐらい観てた時は、娯楽というよりは趣味という位置づけだったように思う。観た映画の感想なんかは、こまめに自身の運営していた草の根BBS(パソコン通信掲示板)にアップしていたし、映画関連の書籍を読んだり映画の情報も頻繁にチェックしていて、つまりは、それだけ映画に関して手や頭を動かしていたということから、「趣味は映画鑑賞です」と普通に思っていたのだと思う。しかし、今はそんなに入れ込んで映画を観ようとは思わなくて、今回もさっとネットでめぼしい映画を探して観に行った。つまりは受け身な消費行動。昨年母親を亡くして介護生活も終了し、来月には週2回の賃仕事も辞めるタイミングで心に余裕ができたせいか、受け身の映画鑑賞欲求が活性化してきたのだろうかと。

 かように、今の私は、「写真は趣味、映画は娯楽」という認識に至っているわけだけど、今回すばらしい2本の映画を観ながら、写真を撮ったり観てきたりした眼でも映画を観てることに気づき、自分の中ではっきり意識しているわけでは決してないのだけれども、映画を観ることと写真を撮ることの相互作用に思いが及んだ。それは、動画と静止画という対比にも関わってくることでもあるが、映画というのは、確かに動画ではあるけれど、高度に計算された絵作りにおいて、「映画は単なる動画ではなく、あくまで映画だ」と言ってもいいくらいだなと感じた。固定ショットはもちろん、カメラが動く場合でも、撮り始めと撮り終わりの構図は、これでもかというぐらい計算されている。一方で、流し撮りやブレ写真に感じるのは、手持ち撮影された映画の疾走感だったりする。私の中では映画と写真がお互いに作用しあっているじゃないか。

 そんなことを考えながら、映画を観るのが大好きだった私が写真にハマったのも道理だと感じた。大学時代から数十年にわたり、写真は撮るのも写るのも興味なしを決め込み、一方で初会映画館主義を掲げて、狂ったように映画館に足を運んだかつての私。自身を「観て想う人、観想者さ」と気取っていたりしていたけれども、心の底では「ただ観るだけの人」だとうつ向いてつぶやくこともあった。そんな「観る人」だった自分が写真にハマりこんで自覚したのは、「観て撮る人」。そう思い至った時、映画をまったく観なくなったある種のうしろめたさは消えて行って、映画から写真につながる道を歩んできたことを確かな道程と感じると同時に、これから進んで行く道も少し見えたような気がした。

 本格的に無職定年退職者への歩みを始めた今、これからは写真も撮るし映画も観よう。意識的に追い求めるのは、自らの手、体、頭を動かして得る楽しさ、ワクワクするものだったりするけど、受動的な消費行動で得る心地よさも疎かにしてはいけない。そう、定年後は欲張りに生きるのです。さて、せっかくですので、久しぶりに今回観た映画のラストシーンについて少しだけ書き留めておきます。ネタバレになるので、ネタバレOKであれば「続き」へお進みください。
          <<<< 以下、ネタバレ注意!! >>>>

 やっぱり映画のラストシーンというのは特別なものです。まぁ当たり前っちゃ当たり前ですが、ラストシーンだけはその余韻が残るわけでして、今回観た2作品も、最高なラストシーンがありました。まず「枯れ葉」ですが、退院した男がやっと結ばれることになった女とその飼い犬と共に枯葉舞う公園だかを遠ざかっていくラストシーン。男が犬の名を問うと女がその名を答え、続いて名を呼ばれたと思ったか「ワン」と鳴く犬。いや、最高でしょ、これ。カウリスマキが集約されてますわw。

続いて、「コット、はじまりの夏」。こちらはもうラストシーンが最大の見せ場。あまり愛情の感じられない実の家族の元から、ひと夏を、過去に子供を亡くした親戚の夫婦の家に預けられて暮らすことになった繊細で口数の少ない少女。ひと夏をかけて愛情をはぐくまれながらも、夏が終わり元の家族の家へと送って来た親戚夫婦が車で帰っていくところで、いてもたってもいられなくなって走り出します。車を降りて農園入り口の扉を閉めようとしていた叔父さんと抱擁しつつ、後から追ってきた実の父親の姿が目に入り思わず口にする「お父さん」という言葉。寡黙な少女がとっさに発したこの「お父さん」という言葉がもたらす少女と叔父さんの感情のさざなみが見事に描かれています。映画全編にわたって、もうとにかく丁寧に描かれていてですね、最後はこの演出ですわ。はぁ、やっぱ映画はいいわ。なので、今後は足しげく映画館へ通います!

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