写真は撮った人を理解する縁となるか?(カメピより再掲)

imgNHKアーカイブで東松照明さんの過去の番組が放映されていました。
写真史や写真集から受ける印象とは違う人となりを知りました。
同時に、写真に対峙する興味深い言葉も。

日常的な範囲でその人を知るのに、その人が撮った写真を知る
必要はない。なぜなら、それを見てしまうと、日常的な交遊には
不要なまでの恐ろしく深いところでその人を知ってしまうから。
逆に、写真を見るのに撮った人の人柄や生活を知る必要はない。
でも、人柄を知るともっと写真を見たくなることはある。
なんか、そんなことなどをつらつら思った。
写真はコワイっていうのは、こういうことなのか…

写真展終了(カメピより再掲)

写真展、無事終了。

今回は、来週から出展する分も含めて、
展示を意識した準備を一応してきたので、
得るものも多かった。
去年は、え?出展?マジ?
ってな感じで、まぁ、面白かったけど、
そして、展示を目指して写真するのもいいかな、
などとも感じたわけだけど、
今は、全く正反対のことを考えている。
それは、「展示すること=何を見せたいのかということを内省する」
回路を通すことで、次が見えてきそうだということ。
その「回路」の一つとして、写真展というのは
結構有効だと感じた。

imgそれと、プリントの調子をコントロールすることへの意識。
複数のプリントをまとめていくことで、
単に一枚一枚を撮って見てるだけでは意識しなかったことが、
浮かんでくる。
これがまた、面白い。

そして、これをマテリアルの面から支えてくれるものが、
バライタプリントです、私の場合。
なので、まだまだ先は遠く長いのです。