現像トラブる

徐々に、ではあるけれど、銀塩モノクロ病が再発してきた。
すかさず、Dー76の投薬を実施。白い粉を溶き溶きしてF80の試し撮りをしたfomapan100を1:2で希釈現像してみた。fomapan100は、Dー23と相性が良かったのだけれど、Dー76も1:2にすればいいんじゃないの?と思ってやってみたら、案の定いい感じに仕上がってくれた。

が、スキャンした画像をよく見ると、そこら中に多角形状の小さなゴミがあるではないか。これは明らかに、スキャン時にフィルムに付いたものではない。
「うわぁ、やっぱfomapanは品質悪いなぁ」
と思ったものの、それにしてはゴミが多すぎるのと、以前確認したフィルム自体の品質ムラによるものとは違うようだと気づいた。まさかと思って、その前に現像していたUltrafine extreme400を調べてみると、なんと同じゴミがみられるではないか。
しばしの混乱の後、思い至ったのは、現像液自体へのゴミの混入。使いかけの現像液を容器に移して懐中電灯の光を当ててよく観察すると、細かいゴミがぐーるぐる、なのである。
そう、現像液を入れる時に、以前に洗ったボトルだからとそのまま入れてしまったのが原因。
しばらく口を開けて置いてあったはずだから、その間にゴミがばかすか入ったのだろう。
昔のように、のべつ暇なく現像していた頃には起こり得ないミスをやらかしてしまったのだった。
もちろん、原因がわかれば対策は可能。今後は、現像液を入れる前に必ずボトル洗浄を行うこと。
久々に現像がらみのトラブルだったけど、ひとつひとつ原因を究明して解決していくことで、自家現像の品質は格段にアップしていくのである。下手によそで現像なんかするより、よっぽど高品質なのです。

コダック大幅値上げふたたび

久方ぶりのブログ更新がこんな話題でスミマセン。=-_-;=
コダックがまた値上げ。
内容見てみましたが、モノクロ関連では、長巻とブローニーの値上げが凄まじいですね。倍以上値上がってます。ブローニーはT-MAX100ですが、まぁ、これはもともと低めの価格設定のままだったから上げ幅大きいのでしょうが、長巻は壊滅的。ていうか、長巻使う意味がなくなったような…いや、まじで長巻の方がコスト高なんですけど…
それにしてもILFORDとの差がますます開いちゃいましたね。そのうちILFORDも値上げするんでしょうけど、なんか根本的な問題がコダックにはありそうな印象です。

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角のある鹿

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いつだったか、紅葉を撮りに奈良へ行った時、日も暮れて帰ろうかという頃に、立派な角を生やした鹿が颯爽と道を横切って行くのを見かけたことがあった。
奈良の鹿の角切り行事について小耳にはさんでいた私は、「ああ、あの鹿はきっと、人に捕まえられることなく生き延びて角を切られずにいるのだ。ボス級の強い雄に違いない。」と思った。
と同時に、一度立派な角を生やした奈良の鹿を撮ってみたいとも思っていた。 続きを読む

壹燈舎企画公募展「モノクロ写真展」

1402ultrafineextreme100_125_001モノクロ写真展に6X7のバライタ大四つ4作品を展示します。
タイトルは「くぐり木の先」
確か、「くぐり木」というタイトルでかめぴにアップしたことがあると思いますが、この時に撮影した3枚と合わせて4枚構成です。
RB67の試し撮りのつもりだったのですが、なぜかおもしろいものが撮れていたので、作品化しちゃいました。(安易だと思います、ハイ。)
お近くに来られることがありましたら、お立ち寄りください。

10月29日(火)~11月3日(日)まで、大阪長堀のギャラリー壹燈舎にて

余談ですが、このギャラリーの場所、ほんとわかりにくいです。
実は、搬入に行った日、知らずに通り過ぎていました…=^_^;=

※添付の写真は、展示作品とは無関係です。

ニコンフォトコンテスト2013

今年も観てきました。
去年までは、世界では、こういう嘘くさい写真が流行なのかと思ったものですが、多少美術畑出自の写真を知ったので、ああ、これは美術系か、と妙に納得しました。
しかし、この美術畑と土着の(?)写真畑の垣根がなくなって混沌としたこの状態は、実のところどうなのでしょうか。相互に刺激しあって、ほんとうに豊かで面白いものが生まれているのでしょうか。
いや、もちろん、今回の作品もとても面白いものがありました。また、風刺的で社会に対するパワーを持ったものもありました。

a_1_d7ec54b1162cf5aff5b1259edf88bbb91712cae0_jpgしかし、大半の作品に共通する、レタッチばりばり、演出しまくりのこの「嘘くささ」にはいったいどういう意味があるのか。確信犯?にしても、もう飽きてしまいます。
数秒で陳腐化するこの嘘くささこそが、現代という時代を象徴するものなのでしょうか。

ここにはやはり、「撮る」と「作る」の、写真のいたずら神と美の女神の、土着写真と写真美術の差異が、厳然として存在するように思うのですが、どうなんでしょうか。
あるいは、常に過ぎ去ったものを追い求める者と、まだ形にない未来の造形に惹かれる者とのすれ違いという程度の差なのでしょうか。
やはり、ますます困惑の極みへとはまりこんでしまいそうです。
ニコンフォトコンテスト