奈良市写真美術館

ここのところ、半年ごとのブログ更新とかになっているので、それを打破すべく翌日更新(笑)

5年以上前ですか、奈良を撮り歩きしだした頃にこの写真美術館に出くわした時はびっくりしました。奈良に写真美術館があったとは!が結局のところ、今回訪れるまで一度も入ったことなかったのです。それは展示内容がどうも入江泰吉記念館と化してるようだったから。いや、もちろん入江泰吉の写真も見たかったのですが、奈良での撮り歩き>美術館で写真鑑賞 という優先度でついつい入る機会がなかったというのが本当のところ。
それが、昨年、館長に百々俊二さんが就任して展示内容も変わったようで、これはぜひとも行かなければと思ってました。そう、今回は写真美術館で写真鑑賞>ついでに周辺ぶらぶら写真散歩 となったのです。
632-83_m展示されていたのは、定番の入江泰吉の写真とゼラチンシルバーセッション巡回展。もちろん目当ては後者です。というか、入江泰吉の写真は、いわゆる収蔵作品展示という位置づけでコンスタントにやっていけばいいと思います。
さてゼラチンシルバーセッション巡回展ですが、その存在は知っていたのですが、関西で目にする機会もなかったのでこういう展示はうれしいです。同じネガから撮影者ともう一人が二人一組でそれぞれプリントするというのは、微妙な違いからまったく別の写真と化してるまでの幅広い対比が見れておもしろい。今回は、びみょーに違うってのが結構そこにいろんな意志を感じられて興味深かった。
そして、今回どうしても見たかったのが、マイケル・ケンナのプリント。
写真集でしか見たことがなかくて、ずっとオリジナルプリントを見る機会がなかったのですが、今回ようやく見れて、その緻密なプリントに感激です。こういうの見ると、もっとじっくりプリントしたぁーいと思ってしまいます。まぁ、時間かけてもいいプリントができるわけでもないですが…^^;
さて、銀塩写真を満喫した後は、周辺地域をぶらっと散策。思いのほか撮影本数も増えてしまい、モノクロフィルム4本ほどを撮りきってしまいました。いいプリントを見て写欲も高まったということでしょうか。次回は浅田政志写真展だとか。奈良詣での楽しみが一つ増えました。

写真生活再開

前回のブログの更新が半年以上前ですか…
ご無沙汰しております。
って、ここを訪れる人もボット以外はいないようにも思いますが…^^;

さて、写真生活再開です。
今回は、やりたいことが明確にあるので、本格的に再開です。^^)
一つは、撮り貯めてきた河川敷写真の作品製作。ま、写真講座のネタも兼ねてではありますが、このあたりできちんとプリントしてまとめたいということです。基本、撮り貯めたネガからプリントするつもりですが、並行して追加で撮影もします。
あと一つは、まだ構想段階なのでヒミツです。

というわけで、決意表明も兼ねてフィルム4本を現像。
現像液(D-76)が古くて不安でしたが、変色してなかったのでいけるだろうと…実際問題なかった。
ちなみに、D-23は変色してたので捨てました。
が、定着液がヘタってた。
まぁ、かなりの本数定着したものだったせいもあるのですが、ベース面の抜けが悪かったので、
結局10分近く追加で定着作業をすることに。やはり、コンスタントに現像作業は行わないと、なにかと問題があります。
未現像フィルムもたんまり溜まっているので、今後は現像タンクを振る日も増やしましょう。

ネガフィルムをスキャンしてデータ化作業も再開。
最近は、すぐに眠くなるので、仕事のある日は2本が限界ではありますが。フィルム現像より、こっちの作業の方が手間がかかるので、またぞろ未スキャンネガが山積みにならないよう、こつこつ作業する必要があります。

残るは、撮影機材の手入れ(大半は探し出す作業なわけですが…^^;)と写真展巡りかな。
ちょうど京都グラフィーの季節到来。今年は見まくりまっせー。

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現像トラブる

徐々に、ではあるけれど、銀塩モノクロ病が再発してきた。
すかさず、Dー76の投薬を実施。白い粉を溶き溶きしてF80の試し撮りをしたfomapan100を1:2で希釈現像してみた。fomapan100は、Dー23と相性が良かったのだけれど、Dー76も1:2にすればいいんじゃないの?と思ってやってみたら、案の定いい感じに仕上がってくれた。

が、スキャンした画像をよく見ると、そこら中に多角形状の小さなゴミがあるではないか。これは明らかに、スキャン時にフィルムに付いたものではない。
「うわぁ、やっぱfomapanは品質悪いなぁ」
と思ったものの、それにしてはゴミが多すぎるのと、以前確認したフィルム自体の品質ムラによるものとは違うようだと気づいた。まさかと思って、その前に現像していたUltrafine extreme400を調べてみると、なんと同じゴミがみられるではないか。
しばしの混乱の後、思い至ったのは、現像液自体へのゴミの混入。使いかけの現像液を容器に移して懐中電灯の光を当ててよく観察すると、細かいゴミがぐーるぐる、なのである。
そう、現像液を入れる時に、以前に洗ったボトルだからとそのまま入れてしまったのが原因。
しばらく口を開けて置いてあったはずだから、その間にゴミがばかすか入ったのだろう。
昔のように、のべつ暇なく現像していた頃には起こり得ないミスをやらかしてしまったのだった。
もちろん、原因がわかれば対策は可能。今後は、現像液を入れる前に必ずボトル洗浄を行うこと。
久々に現像がらみのトラブルだったけど、ひとつひとつ原因を究明して解決していくことで、自家現像の品質は格段にアップしていくのである。下手によそで現像なんかするより、よっぽど高品質なのです。

角のある鹿

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いつだったか、紅葉を撮りに奈良へ行った時、日も暮れて帰ろうかという頃に、立派な角を生やした鹿が颯爽と道を横切って行くのを見かけたことがあった。
奈良の鹿の角切り行事について小耳にはさんでいた私は、「ああ、あの鹿はきっと、人に捕まえられることなく生き延びて角を切られずにいるのだ。ボス級の強い雄に違いない。」と思った。
と同時に、一度立派な角を生やした奈良の鹿を撮ってみたいとも思っていた。 続きを読む

ニコンフォトコンテスト2013

今年も観てきました。
去年までは、世界では、こういう嘘くさい写真が流行なのかと思ったものですが、多少美術畑出自の写真を知ったので、ああ、これは美術系か、と妙に納得しました。
しかし、この美術畑と土着の(?)写真畑の垣根がなくなって混沌としたこの状態は、実のところどうなのでしょうか。相互に刺激しあって、ほんとうに豊かで面白いものが生まれているのでしょうか。
いや、もちろん、今回の作品もとても面白いものがありました。また、風刺的で社会に対するパワーを持ったものもありました。

a_1_d7ec54b1162cf5aff5b1259edf88bbb91712cae0_jpgしかし、大半の作品に共通する、レタッチばりばり、演出しまくりのこの「嘘くささ」にはいったいどういう意味があるのか。確信犯?にしても、もう飽きてしまいます。
数秒で陳腐化するこの嘘くささこそが、現代という時代を象徴するものなのでしょうか。

ここにはやはり、「撮る」と「作る」の、写真のいたずら神と美の女神の、土着写真と写真美術の差異が、厳然として存在するように思うのですが、どうなんでしょうか。
あるいは、常に過ぎ去ったものを追い求める者と、まだ形にない未来の造形に惹かれる者とのすれ違いという程度の差なのでしょうか。
やはり、ますます困惑の極みへとはまりこんでしまいそうです。
ニコンフォトコンテスト