映画と写真

おそらく5年ぶりぐらいに映画館で映画を観た。かつて私は「初会映画館主義」を宣言し、年に200本以上の映画を映画館で観ていた。それが、本格的に写真を撮るようになってただの1本も観なくなっていた。我ながら極端だと思う。まぁ、それだけ写真に傾倒していたということだろう。
そんなノーシネマライフが終わりを告げることとなったのは、観たい映画があったからであるが、もちろんこれはきっかけにすぎず、「写真の嵐」の時代が去って写真以外のものに再び気持ちを割く余裕ができたのかもしれない。
観たかった映画はポーランド映画の「イーダ」。モノクロの新作映画だ。第二次大戦のユダヤ人迫害に関連した戦後ポーランドのひとこまを描いたもの。なぜ観たかったかというと、我が魂のシネマフィルムに属する、アンジェイ・ワイダ作品に通じるものがあると思ったからにほかならない。しかも、私の好むロードムービー的要素も含んでいるというではないか。
上映が始まってからすぐに、映画の見方が変わっているのに気がついた。画面構成にすぐに意識がいくのだ。ただ、これはこの映画自体が独特の画面構成を取っているからなのかもしれないが、被写体(いや、被写体じゃなくて俳優だ!)とその上方への余白(いやいや、これは映画だ=^_^;=)の取り方が特徴的だった。特に冒頭は修道院でのシーンということもあり、この空間の取り方が効果をあげているのは明らかである。
また、写真と違い、動画であるということにも意識が向いた。基本的に固定カメラでの撮影中心の映画だったこともあるが、車などの動体の動きと止め方(どの位置で止めるか)とか、いきなり画面外から入り込んでくる動きによる効果とか。
写真をやる前の私であったら、あまり、というかほとんど気に留めない動きにも気にかけて観ているのである。
逆に、写真ならどう捉えるだろうかと自問するようなシーンもあった。
ラストシーン、それまでの固定カメラによるしっかりしたカメラワークから一転、手持ち撮影による動感あふれるカメラワークで、歩き続けるヒロインを正面から捉えつづける。数多の映画史的記憶が詰め込まれたようなラストシーン。これを写真で表現するならどうなる?いや、写真でも表現してみたい。そんなことまで思ってしまうのだった。
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