BABYMETAL 東京ドームの光と影

ドーム公演終了後半月、その映像を使ったライブビューイング(LV)が行われたので行ってきた。ライブと付いているがもちろん録画された映像と音声だ。19日RedNightと20日BlackNightの2日間がまとめて上映される。19日は参加しなかったのと、20日も席が悪く(アリーナDブロック後方)どんなライブだったのか全貌がわからなかったので、まずは内容を確かめたいというあまりうれしくはない思いから申し込んだが、ほかにもぜひとも確かめたいことがあった。
一つは、LVってどんなのか体験したいというもの。ライブハウスでやるからには音響は映画館なんかとは比較にならないはずだろうと。ドームでは望めない音圧もあるのではないか。
もう一つは、今回のドーム公演で感じた「ライブ」とか「リアル」ってなんなのだというモヤモヤとした疑問から。たとえ録画映像であろうが音圧バリバリの場所で観客がノレれば、それは「ライブ」なんじゃないか。ただ、生歌ではない(その場に3人&神バンドがいないという意味で)ので、その分は割り引かないといけないだろうけど。

10月5日当日は奇しくもBlackNightがそうだったように台風が接近する中での開催となった。台風まで再現するとは、さすがベビメタとしかいいようがないw。平日で仕事が終わってからということもあり一度自宅に帰ってから着替えて出かけたので、会場に付いたのはほとんど上映開始と同じ時刻になってしまった。
急いで会場に入ると中はまっくら。あ、そうか、普通のライブと違って上映なので照明が落とされてるのか。なので、中に入ってからあまり動くことができず、左サイド後方で見ることに。ただ、スクリーンはでかいので、鑑賞するには問題はなかった。のだが、観客のノリとしては、やはり前方や真ん中の方が良かった。それでも地蔵集団なんてことはなくて、適当にキツネサインを上げたり拍手したりで、掛け声や歓声もありライブのノリだ。音圧も充分感じられて、逆に座って聴いてたりしたらうずうずしてどうしようもなくなるくらいだ。
RedNightは初めて見たので、その映像に目を見張った。なるほど俯瞰するとこういう情景だったのか。その立体的な構成に、こりゃ凄いわなと感心したし、とにかく3人のどアップ映像は細かな表情がよくわかり臨場感があって心中かなりテンションがあがっていた。特に見たかった「tales of the destinies」はじっくりと楽しんだ。途中3人のキュートな振り付けのシーンがあって、そこは会場にもどよめきが。うひゃぁ、この曲でこんな振り付けがあったのかってな感じ。ちなみに観客の半分以上は東京ドームへは行かなかった人たちのようだった。

RedNightが終了したところで休憩があるのかなと思ったら、そのままBlackNightに突入した。休憩の間にもうちっと真ん中に行こうと思ってたのだが仕方ない。ここからは私も一応ドームで参加したので追体験となるはずだったが、最初の「BABYMETAL DEATH」(BMD)でいきなり会場に火が付いた。通常ならライブの始まりがこの曲になるのだが、LVではRedNightからそのままの流れで来たので、この曲のヒートアップ効果を目の当たりにした感じだ。私も点火して腕を上げたり声をだしたりでテンションアップ。恐るべしBMD。いきなり加速してそのまま突っ走るためのロケットブースターのような曲なのだと、わかっていたつもりでもやはり驚かされる。
その後は会場のノリもまったく違って激しさを増した。それはもう完全に「ライブ」だった。
もちろん、その場に3人はいないのだが、代わりにどアップ映像が目の前にあるのだ。しかも正面からSU-METALに射すくめられたら、これはかなりドキドキしてしまう。生ライブとはまた別の魅力があるのだ。
とにかく圧巻の映像だった。音もドームよりも数段良かった。パフォーマンスも最高だったし神バンドのソロもたまらない。もう文句のつけようもない出来だった。このあとBDが発売されるだろうが、同じくおそろしいほどのハイレベルだろう。2日で一つのイベントとして希代のメモリアル映像となるのは確実だ。そして、後世に残るのはこの映像なのだ。戦略的には申し分のない大勝利と言えた。

では、LVの元となったドームでのライブ自体はどうだったのか。
私は20日のBlackNightに参加したが、ライブが終わるまでは成功だったように思えた。しかし、ライブが終わり、参加した者たちが我に返ってみると、座席がどこであったのかによってライブ鑑賞に許容範囲を越えた落差があったことがわかってきた。また、今回LVを見てわかったが、初日のRedNightしか参加できなかった人たちの不完全燃焼感も理解できた。私はまだBlackNightの方に参加できたが、席はハズレ組だったため、公演後しばらくはしょげかえり、それでもあれは何だったのかと知りたくてネットにあたったりしたのだが、最終的にわかったことは、これはもう同じライブを体験したとは言えないほどの落差であり、その結果話がかみ合わない不毛な議論が沸き立ち、悲しいことに同じファン同士が反目し合うという事態を招いてしまったということだった。
東京ドームのような大箱でみんなが満足するようなステージ設計は難しいというのは常識なのだろうが、その常識を越えようと本気のステージ設計にチャレンジした結果(と思いたい)、見切られた者たちは許容限度を超えた落胆を味わうこととなったのだ。興行は成功し戦略上も勝利したがライブとしては失敗したのだと思う。今回の録画済LVを見て再認識したが観客まで含めてのライブなのだから。しかもこの失敗はファンのメンタルを侵蝕するタイプの結構深刻なものなのではないか。ステージパフォーマンスはもちろん、ステージ設計も前述のように、いかにもそれでこそBABYMETALというような素晴らしいものだったのに、東京ドーム後、おそらく私と同じようなハズレ組だった身近なファンの人たちの熱量がかなり下がっている。これは私の周囲のメイトさんたちとのやりとりからひしひしと感じるだけにファン心理の本心を反映しているだろう。今回のメモリアルな東京ドーム公演が、このような光と影のまだら模様となった皮肉な結末になんともやるせない気分だ。
私同様ドーム公演でテンションが下がって落ち込んでいると言っていた方々、さらにその何倍もいるであろう沈黙のうちに沈んでいる方々に再び熱いハートが蘇らんことを切に願っています。

さて、これから後は私のドーム公演後の思いの変遷を文章化していきます。それは、トラウマを癒すために私が必要とした行為です。ドーム公演を満足された方には不快な文章でしかないので、ここで読み終わっていただければと思います。
そもそも同じライブを体験しなかったのですから。

新大阪発東京行きの新幹線の中で、前日のRedNightの様子をネットで調べていた。えっ、やはり「Tales of the destinies」を演ったのか、やったね!、と。が、すぐに今回のドームでは同じ曲は2度やらないとかいうことが書かれていて、えええ!!、tales 聴きたかったのにと思った。いや、俄にはその、「同じ曲をやらない?」とかいう意味不明に思えたことが信じられなくてネットを見回したのだが、どうも冒頭にそういう説明があったようで、ああ、最後の駆け込みでも初日のチケット取っといたらよかったかなぁと思った。
台風が背中から迫っていたwので、東京には昼過ぎには着いた。東京都写真美術館でも行こうと恵比寿へ行ったのだが、祝日明けの火曜日で休館日なのを失念。結局、美術館の場所を確認しただけで先にホテルへチェックインして、室内でBABYMETALのライブ音源を聴きながら、初日で演奏されなかった曲=BlackNightのセトリを確認した。その時点で、Talesは諦めていたが、「おねだり大作戦」がどうなるのかが気になっていた。もうやらないとか言ってたけど、やるならラッキーだ、とちょっと気を取り直してその他の曲を予習しながらライブへの気分を盛り上げていた。

1時間前に会場入りした。座席はアリーナDブロック後方。ドームでの公演ということで、「3人の姿は豆粒ぐらいにしか見えない」「音は期待してはダメ」など、私もドームでのネガティブ要素を織り込んでいた、はずだった。サマソ二大阪でアリーナの狂乱は経験済みだったので、ドームではスタンド席からゆっくり楽しもうと思っていた。これに関しては、私が勝手に思い込み違いをしていてTHE ONEシートでの申し込みだとほとんどアリーナになるなんて思ってもいなかったのだが、このアリーナの大半がいわゆるハズレ席だった。
それはライブがはじまってすぐに気がついた。センターにステージがあって、その周囲にアリーナ席が配置されているのだが、実はほとんどの時間をパフォーマンスする「正面」というものが存在してしまい、この「正面」以外のアリーナ席のうち特に後方席は、3人を直接見る機会が極端に少ない。3人の姿は遠く斜め後ろから見えるだけで、途中円形ステージを回ってくる時にちらりと見えはするが、大半はモニタビューを見るしかなかった。花道が張り出したりもしていたのだが、私の席は花道と花道の間で、それもほとんど見えない。もちろん、東京ドームに過度な期待はしてなかったのでモニタービューでいいと思っていたのだが、それは豆粒でも全体が見えていることを想定しての話で、まさか地の底にいてステージパフォーマンスがまったく直視できず、ただただモニターを見ているしかないとは想像もしていなかった。おまけに、センターステージは、どうも立体的な構成になっているようで、上部の方でなにやらパフォーマンスが行われてたりしている、ようなのだ。これも直接見えないので、モニター映像や周囲の雰囲気からそう感じたわけだが、そう思って上を見上げてみると、なるほど最上ステージ(?)の端に来るとちらっと姿が見えた。
草葉の陰から3人の後ろ姿を眺めながら地獄の血の池へと落とされた、蜘蛛の糸を見上げるカンダタのような状態といったらいいだろうか。ここまでくると、もうモニターをメインに見ながら、ひたすら「聴く」しかなかった。唯一の救いは、音は思ったより悪くなかったことだ。だからSU-METALの歌声だけは聞こえた。
そんな地の底で、前後をパイプ椅子に挟まれた身動きのとりづらい状態ではあったが、周囲の奴等も含めて、キツネサインを掲げ、ジャンプをしようと上下し合いの手シンガロングにヘドバンと精一杯の声援を送りつづけた。もちろんステージのどこかにいるであろう3人のために。こちらから見えなくても、ステージ上の3人からはこちらの様子は見えるはずなのだ。ノリが悪いと悲しむじゃないか。
最後に首につけたコルセットが光る情景も、地の底からでは別段壮大なものでもなかった。モニターを見ながらその情景を思い浮かべることによって脳内補完していたと思う。
しかも、私の斜め前の人はコルセットが光らなかった。前日の公演でもそういう話を聞いていたので、きついなぁと同情したが、その人がコルセットを外して振り回したりしてなんとか点灯させようとしている姿を見せられると、こっちの方が悲しい気持ちになった。やめてくれ、自分のコルセットが光ってるかどうかどうでもいいじゃないか、頼むからそんな姿を見せないでくれ。どこかであったこの状況、そうイジメの構図…。
その時の情景をあとで思い出しては、「検品もしてねぇのかよ」と憤慨したが、ネットで調べてみると、初日は電池の絶縁紙かなんかを引っこ抜くのが周知されていなかったのが原因とか。では2日目はというと、そんな絶縁紙はなかったのであらかじめ引っこ抜いてあったのだろうが、この仕組みは電力を食うらしく、引っこ抜くのが早すぎた個体は電池切れとなっていたのだろう。さすがに納品業者へクレームが行くだろうから検品してないなんてことはないだろう。そう理解したものの結果は結果なのだった。

そんなこんなでよくわからないままにショーは終わった。
SU-METALの歌声の効果か、ドームからゆっくりと外へ動きながらもなんかぼぉーとしている感じだった。満足感があるわけではないのだが、かといって強く落ち込んでいるというわけでもない。終わったなぁという感じだろうか。
とにかく台風も来ているし、早くホテルに帰ろうと地下鉄に揺られながら、「あー、スタンド席で上から見たかったなぁ。失敗したなぁ。」とふと思った。
「失敗?」「失敗だったのか?」
自分がそう感じていることにようやく気がつき、さっきまでの情景を思い浮かべながら、そうかもなぁと曖昧に肯定するのがその時は精一杯だった。
ホテルに戻って持ち込んだ肴をあてに酒を飲みながら、タブレットを開いてまとめサイトを覗いてみたが、さすがにすぐに動画がアップされているということもなかった。いや、アップされていたとしてみあまり見るきにはならなかっただろう。ファンサイトを覗いてみると、ドーム公演への賛辞の他に結構な数の不満の声があるのがわかった。読んでみると私とまったく同じ境遇で共感できる内容だった。
「ああ、やっぱりそうだよな。あれではどうしようもないよな。」
ドーム後の不感症が少し治ったようだが、もちろん悪い方向にだった。
その夜は、先に読んだメッセージへ共感のレスポンスを書き込んで早々に眠りについた。

翌日は、東京都写真美術館で杉本博司の展示を見てきた。すばらしかった。そして考えさせられた。が、これはまた別の機会にでも書きたい。その後は、新木場近くをうろうろしながら写真を撮った。空は曇っていて気分も晴れなかったが、時間だけは早々と過ぎ、慌て気味に東京駅まで行き、帰りの新幹線に飛び乗った。

その翌日。
私がよく行く交流サイトに、東京ドーム公演の日記を書こうかと訪れて、しばらくキーボードに指を乗せていたが、「とりたてて書くことがない」という事実に愕然とした。数日前にベビメタ東京ドーム公演参戦とか書き込んだ手前、何も書かないわけにもいかないのだが、席の問題やらその他の諸々のネガティブな要素を除いたら、とりたてて書くこともないのだ。何かひとつでも飛び抜けた体験、例えばモッシュに初突入とかなんとかなんてのがあったら書けるのだが、全席指定では与えられた環境で受容した体験しかなく、どうしようもなかった。
結局、ドーム公演については事実を中心に何行かの文章をひねりだし、後は東京都写真美術館の杉本博司展について書き連ねた。こちらは、自分で苦笑してしまうくらいすらすらと文章が出てきた。
まぁ、そういうことだな。自分に嘘はつけない。

それから数日。
ドーム公演の感想やらレビューやらがどんどん出てきていたが、少し読んでみたものの、自分が体験したものとは違う情景が展開される内容にテンションが上がるはずもなく、それ以降は見聞きしなくなった。
それでも交流サイトには、私と同じように遠征してドーム参戦すると言っていた人もいたので、まぁ、こちらは読まないとなぁと思ったのだが、数日たっても書き込みがない。
え?あんなに熱く語っていた人が、ドーム公演終了してもう3日以上経ってるのにコメントなし?ま、まさか、この方も私と同じなのだろうか?
そう感じはじめた頃に、私の書いた日記にコメントが付いた。そこには、自分も2日ともハズレ席だったこと、だけどしっかり応援はしたこと、が短く書かれていた。その方のベビメタへの熱量の高さを楽しんでいた私は、その心の内を察しながら言いようのない悲しさを感じた。

もうその頃には、これは下手をするとトラウマになるという危機感があった。本来、ストレスやトラウマからダメージコントロールしてくれる存在であったベビメタのライブが原因でトラウマに陥る不安を感じつつあることに、私はかなり動揺していた。
なんらかの施術(セラピー)が必要だった。
過去のベビメタ動画を見たり、ベビメタがらみで収集していたメタル系の音楽を聴いたり、思いつくことをやってみた。
その一つとして、LVにも申し込んだ。自分にとってあのドーム公演が何だったのか、最終的には避けて先には進めないのだ。これもまた皮肉としかいいようがないが、自分と同じ境遇同じ思いをしている人がかなりの数いるってことに救われた。彼らの書き込みや自分も感じたことを書き込むことで、単に落ち込んで去るという道ではなく、新たに前へ進めそうだと思い直すことができた。
たかが、ドーム公演でのハズレ席に起因する落胆がここまで尾を引くということ。
ベビメタドーム公演で喰らったトラウマは、ベビメタでしか癒せないということ。
BABYMETALというのは、主観的側面からも稀有で特異な存在なのだということに気づかされたドーム公演だった。

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